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2020/10/27 15:01

「現場で聞く。」
というスタイルが商品作りに必要だと感じ、
おそらくその活動を10年ほど行ってきていると思うのですが、
その度に生産工場の中でいろんな方の意見や商品に対しての思いを聞き
全てを汲み取ってモノに変換していくという作業を行っています。

しかしこのままでは「良い工場がなくなってしまう・・・」
日本や海外の工場を回っていく中で強い危機感を感じています。

理由は多方にあります。
本当に良いものでも売れなければ消えていくというのが
時代の流れですし、自然の摂理でもあります。

日本の寝具専門店、俗に言う「布団屋」は激減しています。
一般的にも睡眠を支える寝具というよりも「ただそこで寝られれば良い。」
「寝るものなどなんでも良い。」という方がおそらく増えています。

それに伴い当たり前に良い寝具で育った世代が
少なくなってきつつあるのだと思います。
それは専門店の減少と同時に超量産品の増加という背景が物語っています。
それも時代の流れなので仕方のないことです。

逆にいうと今まであぐらをかいてきた寝具メーカーの責任もありますし、
人には良質な睡眠を取る事が必要だということを伝える語り部が
少なくなってきているという両面性もあるのだと思います。

今回はシルク(絹)製品を生産する工程の紹介や、
また養蚕業の歴史や現状などをお伝えする為に
本場近江地方の真綿(まわた)の生産現場にお邪魔してきました。

そもそもシルクが何からできているかご存知でない世代の方も
いらっしゃるかもしれませんので、少しお話しておきます。

雑に話すと蛾の幼虫がサナギを作る際に糸を吐きます。
その糸を繊維として使うのがシルクです。
ただそこらの蛾ではなく、桑(クワ科)の葉だけを食べ成長する
蚕蛾(カイコガ)の糸でないとシルクにはなりません。


真綿は生糸に加工せず、繭をシート状に加工したシルク100%の原料のことです。
 角真綿とも言いますが、現在では一般市場で流通していません。


現在の滋賀県はかつて近江国と呼ばれ古事記の中にも淡海(あはうみ)として登場し、
「海」に由来するほどの琵琶湖水系を利用した農業が盛んです。

また機織りの産地として古くから綿や麻、絹の加工。
晒しの産地として有名な地方です。寝具の西川はこの近江で生まれています。
今では寝具専門メーカーですが450年前、元々は晒し問屋からスタートしています。

特産物を利用した商いも盛んで「近江商人」の哲学やビジネススタイルは源流的で
儲けすぎないことや隠れて良い行いをする事など。「三方よし」という言葉に
括られていますが、言い伝えられている格言は現代では希薄になった
非営利追求主義の根幹となった地でもあります。

近くには近江ちじみ(苧麻)の産地があったり、
琴や三味線の弦もシルクで作ることから、和楽器の弦の工場もある様ですね。


当店では「シルクケット」の製造をお願いしている工場です。
お年を召した方にとっては「真綿布団」と言った方がしっくり来ると思います。

1700年代から続く工場の9代目社長自らの
アテンドで工場の見学をしてきました。

元々近江地方は真綿の加工場であって養蚕は行っていません。
多くは群馬県や福島県など有名な産地から乾繭(かんけん)と呼ばれる
乾燥させた繭仕入れて角真綿を製造しています。

養蚕農家の激減により、今後原料が仕入れできなくなる事が難しくなることを
予想して自身の工場に養蚕施設を建てて養蚕の試験的展開も行っているそうです。

今では幻となっている生繭の加工も可能になるので
将来的には貴重性の高い品種とその加工も行っていくのだそう。
今は取れる量が限定的であることから製品化までには至っていない様でした。

繭から羽化した蚕蛾がそこらにとまっていました。
これは一般の真綿加工工場では見られない光景です。


元々、蚕(かいこ)というものをご存知でない方も多いと思うのですが、
人間の都合で作られた蛾の一種であって本来の自然界には存在しません。
その点以前にご説明した「羊」と似ていますね。

現在改良された品種は数百種あるとのご説明を受けましたが、
種類の違いなどは正直繭を触っただけでは分かりませんでした。

日本固有の「くわこ」と呼ばれる桑を食べ成長する蛾の仲間もいる様ですが、
これとは別に大陸(中国)から伝わった生物です。
養蚕の歴史は古く紀元前2750年まで遡ります。
おおよそ5000年の歴史があるほど繊維の中では古い歴史を持っています。
日本には2世紀ごろに大陸から伝わった様です。

当時生糸は庶民の服などにも利用され、
生糸にならない不揃いな繭を真綿にし防寒用として中綿
(今でいうダウン)として使用してた様で今では贅沢な繊維ですが、
当時は麻と同じくもっと暮らしに近いものであったと想像されます。

蚕蛾が吐く糸は切れ目のない1本の糸からできています。
中のサナギが上の写真の様に羽化してしまうと繭の中の糸の繊維が
短く切れてしまうことで商品価値は無くなりますから可哀想ではありますが、
蛹化(ようか=サナギになること)して羽化するまでの間に糸を取る必要があります。

繭になってからおよそ7日間で成虫となり出てきてしまうので、
その間に湯がいて取り出す事になります。当然中のサナギは死んでしまいます。



産地から近いところでは全て「生繭」ですが、近江の様に
遠い産地に送る場合や大量生産する場合は乾燥させて「乾繭」の状態にします。

この作業の際に幼虫から脂肪分が出て繭についてしまうと
製品化した後に時間が経過すると黄色く変色してしまいます。
生繭ではこれが起こらないことからより高価な商品として取引されています。
現在世に出る商品の多くは「乾繭」を原料にしています。

ただし、現在日本に流通するシルクはおおよそ海外から輸入したもので
国産のシルクは全体流通量の2%弱しかありません。
生糸に関しては0.2%という水準です。
元々国産シルク製品をお持ちの方がまず少ないという事です。





1870年代、国策として日本の輸出品の80%を占めた生糸は
以前に粗悪品が出回り日本の生糸の価格を暴落させてしまったことから
フランスの技術を転用し、大規模な国家プロジェクトとして作られたのが
富岡製糸場でした。当時は世界でも最大級の規模だったようです。
日本近代化の歴史の中では重要な産業であったことは間違いがありません。
メイドインジャパン戦略の始祖と言ってもいいのではないでしょうか。
*これを知り一度行かねば、、と思っています。




民間に払い下げられた後も戦時中も含め115年操業した様です。
女工の強制労働的なものがあった様に描かれていますが、
過酷な現場だったことには変わりはないものの
調べても操業当時はかなり高待遇な工場であった様です。

その影響もあり、原料提供していた養蚕農家は現在でも群馬県に多く存在しています。
それと同時に蚕は大量の桑の葉を食べますので広大な桑畑が必要になります。
当時の日本ではあちらこちらに桑は自生し、また栽培されていましたので
今でもその名残として桑畑の地図記号が存在します。
それほど本来日本の生活に欠かせない産業だったということでしょう。

今回訪れた工場の周りも養蚕を試み始めた際に桑畑になっており、
画像を撮った際には収穫のため刈り取られていました。

一面桑畑です。

幼少期からちょっと変わった性格だった私は当時は昆虫や生き物好きで
小学校の机のまわりに採集ケースをいくつも並べて昆虫やカメ、トカゲなどを飼っていました。
通学路にいる生き物を手に一杯持って帰るとよく母に気持ち悪がられました 笑

さすがに小学校に持っていくことはありませんでしたが、
自宅には当時養蚕家から分けていただいた蚕も飼っていた経験があります。

こうして桑畑を見ると父と自生した桑の葉を求めて蚕のために
あちこち行ったなという幼少期の記憶が少し蘇りました。


以前には無かった養蚕場を見学させていただきました。

施設内に入ると縦長のケースがあります。
ここに幼虫を仕入れて桑を食わせて繭を張るための準備をさせます。
この工場では1度に6万匹の幼虫が入るそうです。
将来的には最大9万匹の飼育ができる様にしたいとおっしゃていました。

実は数える際の単位は「匹」ではなく「頭」で数える様です。
蚕は糸を取る際、人の為に死んでしまいます。
敬意を持つ為に馬や牛と同じく「頭」として数えるのだとか。
産地では「お蚕様」と言われているほどですので、とても納得がいきました。

訪問した際にはすでに幼虫は繭になっていましたので
すでにここにはいないとご説明を受けました。
プロの養蚕家では年に5回ほどの収穫を繰り返すそうですが、
ここは本来真綿の生産工場ですので今のところ年2回繰り返すことが精一杯だそうです。

この1レーンにつき1回に入れる桑の葉は2トン。
蚕はこれを24時間ひっきりなしに食べるそうです。
そう考えると大量の桑の葉が必要になりますから大変です。

それでも現在は研究状態。
養蚕プロジェクトは費用を埋めるだけの資金もないので
「真っ赤っかだ」と社長はおっしゃっていました。
現在はクラウドファンディングで資金を調達し運営しながら
地元の小学生を呼んで見学をしてもらったり、
今では全国のメディアに多方で取り上げられている様子でした。


蚕の一生を社長自ら熱心にご説明していただけました。


毎年蚕の供養祭を開催している様でたまたま訪れた日の次の日でしたので
「泊まって出るか?」っと冗談めいたお話をしていましたが
店主は竹生島宝厳寺と聞きちょっと良いなっと思ってしまいました 笑
*ご興味あればお調べください。


工場の周りの集落には以前真綿工場の組合があり江戸末期から明治にかけて
約90社あった様ですが、現在ではたった2件。最近もう1件有名な真綿工場の
廃業が決まったところでしたので、訪れた工場のみになってしまう様です。

ご近隣にお住まいの方々のご協力もあり、
休耕地をどんどん桑畑にして養蚕プロジェクトにご協力いただいているのだとか。
ご高齢の社長ですが、養蚕とその歴史、文化の継承に尽力されている熱意と
行動力を間近で見ていると頭が下がるのと同時に
私にも必ず世に伝えなくてはという使命感が出ました。

これこそが現場でしか味わえない「目に見えない価値」だと思います。


2階に上がるとすでに6万頭の蚕が繭になっていました。
残念ながら蛹化できる幼虫が全てという訳ではないので
床や巣箱のあちこちには沢山の死骸が落ちています。

あまり率先してグロテスクなものを見せるものでもないと思い
写真は載せませんが、沢山の死骸を見ていると表面的な美の裏側で
私も自然ありったけでそのままのグロテスクな美という一面も
簡単には容認できなくなるのだろうなと少し悲しくなりました。

話は大きく変わりますが、
スーパーマーケットには頭のない魚が切り身になって売られています。
肉も頭がなくて当たり前ですが、同じような形・色・艶をしています。
これが私にとっては少し不思議に見えます。
自然界には個体差(個性)があり、大きさ、色、味など違って当たり前なのに
ここに並ぶ魚や肉は同じ形をしています。



つまり人間の都合で個体差が無いように養殖された生物のみが
スーパーマーケットでは合格品として売られています。
それを見ている現代の子供たちは命をいただいて生きているという感覚が
このまま恐らく希薄になっているのではと懸念しています。

以前ウール の回にも少しお話ししましたが、
これが何からできているのか、誰がどうやって作ったのか。
それにはどのくらいの熱量と時間をかけて作られているのか。
そのプロセスに興味がないと
「良いもの」「そうでないもの」の差までわからなくなってしまいます。

人間の本質的な知の欲求の糸口が見えにくい世の中になっています。
乱暴にいうと「無知」や「不感」になっていくのではないでしょうか。
私がこうやってブログを書いて何人の方が見られるのかも分かりませんが、
一人一人がもう一度見直さなくてはいけない時期に来ています。

大事なのはリザルト(結果)よりもプロセス(過程)です。
当店に置き換えると「製品」ではなく「素材・原料・加工」です。

安定生産や供給を考えるとどこまで、、、という問題はありますが
「完全管理の養殖」と「職人技の1点物」との
その中間の商品を取り扱いたいと思っています。


この蚕を蛹化させる器具は社長自らが廃業になった
福島の養蚕家の元から陸路で運んできたのだとか、、、
こんなものをもう売ってもいないし、作るとまた予算が増えてしまう。
ということで頼みこんでいただいてきたものだそうです。
これも熱があるからできることですね。


えー、、実は、
ここからが見学した工場の「本業」です。
最近ダメですね。。文が長くなってしまうのでもう少し短くするか
分ける方法を考えないと記事を書く私もこれだけに執着してしまい
最近の納入事例など全く手を付けていませんから。

本当にバランスということは重要です。。
それが人のセンスということなのでしょう。まだまだです。。

ここからはサクッといきたいですが。。

これは繭を湯がく釜です。煮繭(しゃけん)という作業です。
生きたままで申し訳ありませんが、
沢山の繭を重曹と一緒に湯がいていきます。

実は採取した繭の糸はパリパリで硬く、シルク特有の柔らかさを持っていません。
セシリンというゼラチンの一種を重曹で取らなくては全く商品になりません。

茹で上がって脱水した繭がこれです。
中にはサナギが入ったままです。

それをこの道30〜40年の先輩方が流水につけながら
一個づつ丁寧に剥がして広げて中央の型にはめ込んでいきます。
サナギはここでさようならをします。

角真綿の由来はここにあり、四角形の型にはめ込むことで四角い製品になっていきます。
お二人の間に掛けてあるのが出来上がったばかりの真綿の束です。
これを乾燥させて真綿の完成となります。


この日私も真綿作りを体験しましたが全くうまくいきません。。

実はこの日の見学はもう一人声をかけていて、
休日返上でついて来た寝具バイヤーも帯同していました。
彼女は私が以前勤めていた前職のポディションに
私の後の後に入った新鋭です。
同じ企業で一緒に働いた事もないのですが、
私の事を知ってくれた様で開店時に来店してくれて
そこから色々なアドバイスをしたり、
いろんな工場やメーカーさんを紹介したりする仲です。

彼女はまだ20代です。こんな事と言えば工場には大変失礼ですが、
草の根運動に興味を持つ大手のバイヤーがまだ残ってくれていることに
勝手ですが少し希望を持っていたりします。

*当時会社からは工場に行くなと言われていましたし、
 商談や打ち合わせは本社でやりなさいという通達もあり、
 その中を掻い潜り現場に行くのはなかなか大変だったのですが、
 彼女は休日を充てるという戦法で今回乗り込んできました。笑
 「自分事として考えられるか」ということはこの歳で意外にできないものです。

現職でバイヤーや商品開発をやっている方が見ていただいているのなら
必ず現場でまず「想いを聞く」ということをしていただきたいです。
会議室では「売れるもの」は生まれても「継続するもの」は生まれないと思っています。

「売れるもの」はバイヤー自身の評価にはなりますが、
それを作る現場は継続しなければいつかは廃業してしまいます。
彼らと共同体になって業界全体をどうしていきたいか。

昨今のサスティナブルというのも表面的な一種の流行です。
やたらめったらその手の商品を作るのはやめてください。
その真意は生産者の思想を聞くことでしか理解できないワードだと思います。



彼女はうまく作っていましたが、
私の拵えたものは歪でほとんどはお母さん達の手で修正いただきました。。
分かってはいますがやはり職人の技とは凄いものです。。

真綿1枚は約4〜5個の繭でできています。
当店のシルクケットは0.5kgと1.0kgがありますが
0.5kgでも約300枚ほどの枚数を使用します。
気が遠くなる作業です。

そう考えると1.0kgの真綿布団では約3000個の繭を使用するらしいので
養蚕場にいた6万匹の蚕からは20枚ほどの枚数しか作ることができません。
それを年に2回。年間40枚の生産能力しか無い養蚕場ということになりますから
シルクの需要が極端に減る国内の養蚕家が辞めていく理由がわかります。

そしてこれが真綿を使用した製品。
「真綿ふとん」を作る工程です。

1枚の真綿を2人で引き延ばして積層させて形を整えます。
混ざり物なし、シルクのみで作った布団の中綿になります。

少しづつ引っ張って、、
伸ばして、、、
置いていく、、
シルクは糸が細くしかも長いのでこれだけ伸ばしても切れません。


この繰り返し。無限の作業です。
この日仕上げていたのはある有名寝具メーカーの商品。
嫌な言い方ですが、、末端の販売価格は200万円だそうです。

当店の真綿も同じ工程と素材で作ってもらっています。
何が違うのか。。当然全く違う箇所、仕様もあります。

布団業界の高額商品はまだまだ小売業者の
言い値で売られている現実もありますし、
私もそれが嫌になって企業を後にしました。

しかしその連鎖から抜け出そうとしている次世代の寝具屋もいます。
入り口は違えど、おそらく彼らと同じ答えに行き着いたんだと思います。

「素材」の可能性だと思います。

以前布団屋はメーカーや問屋から仕入れたものを言われた通りに売っていました。
今でもその習慣は残っています。消費者のことを少し軽んじている節もあります。
売れた時代の企業さんはそれで良かったと思うのですが、
こうも売れなくなってくるとやはり根をあげて廃業してしまいます。

逆に「布団屋でなくてはダメなんだ」と感じている方達は
自分たちで素材や生地、加工工場を探し当て自分たちの理想を追求しています。

ただその生産者や現場もかなり疲弊していて
諦めさえ抱かないといけない現状もあります。
生産者・メーカー・小売店。全てに責任はあったと思いますが、
一番は「消費者の意識」だと私は思います。

私も含め末端のユーザーの意識が変われば
もっと人にとって有益な世界や情報がネットや端末の中ではなく
実は身近なところに落ちているはずです。
全ては自分事として考えられるかどうかにかかっています。


シルクは動物性繊維で、高い調温調湿機能を備えています。
暑すぎず寒すぎず、蒸れも防ぎ、乾燥すると放湿します。
人間にとって「熟睡」に必要な条件をフラットにしてくれます。



1枚ですべてのシーズンにお使いいただけて
冬は羽毛布団の中掛けとして使用していただくと
さらに使い心地の良い寝具となります。
全く昔の方の知恵というものは凄いものです。

*真綿布団は庶民の寝具だったわけではありません。
 やはり当時も超ド級がつくほどの高級品です。

羽毛が入らない時代にはこれを上着の中綿にして使っていた様で、
日本が対戦中、この工場からも防寒用として
沢山の真綿を出した記録が残っているそうです。
多くは満州や中国北部に送られていたのだと思います。


今回取材を受けてれた山脇社長。
最後に古い文献やお手製のデータ資料で歴史や養蚕の現状を教えてくれました。

現在国を挙げて養蚕を守ろうというプロジェクトが農水省直轄で立ち上がり
年間50トンを無菌状態で生産するプラントを熊本に既に作ったそうです。

詳しくはこちら
*データ類は非常に興味深いです。
 この20年で日本国内の養蚕農家は70%減っています。

しかし裏には大手商社があることからおおよそ官民一体の政治政策な気がします。
減っているから増やそうでもいいと思うんですが、
目には見えない歴史や背景。
人の生活に馴染んできた物の良さを伝える場がなくては一緒です。
モノではなくプロセス。こんな場所ですが、少しづつでもお伝えできればと思います。