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2021/09/14 07:38

今回もかなり私的な内容ですので、
ご興味がなければ読み飛ばしてください。


こうやって文章を書いていく中でいつも思うのは、
皆さんに睡眠や寝具の役割をお伝えする。
というのもそうですが、「私自身の思考の整理」という意味で
意外に役に立っているなぁっと思うことがあります。
現在に思い立ち考え行動したことは時間と共に
感情が昇華されてしまうからです。
その意味で私も時々読み返したりしています。

それだったら日記でいいじゃないか!

っと思われると思いますがオープンな場所に
私の落とした自然的な排泄ともつかない文章を
最近では「楽しみにしています」とか「面白いです」
と言われることもあって、店主は調子に乗って書き進めている訳です。
そもそも意味を為さない文章ですから、
「何の意図があって?」っと聞かれても私も知らないのです。
書きたいものを書きたい瞬間に書き進め、
嫌になったら書きやめるというスタイルでやらせていただいております。
突き進むうちに意味も見えてくるのではないかと思っています。

そしてこんな目立たないものが他人の目に触れ、
また文才のない脈略や意図さえないこの文章群は
ここ最近の私にとっても大きな課題にもなりつつあります。

開かれた場所で寝具以外の身の上話が続きますので、しょうもないのですが。
ここ最近の出来事で思う事もあり、テキストとして残しておきます。


「集団の中で生活する。」
「足並みを合わせて生活をする。」

それは日本ではごく当たり前のことで、
無意識の中で脈々と引き継がれてきている
「普通」とか「一般的」と呼ばれる意識なのだと思います。

私も多くの方と同じ様に学校に通い、そこそこに会社勤めもしていたので
同じ様に集団の中で心の奥に多くを潜めながらも思ったことを口にできない、
また、行動にできない瞬間を「日常」として幾度となく経験してきました。笑

私たちの住む日本、おそらくアジア圏にあってはなぜか
「こうでなければならない」という一種の同一性の強制意識
というものがどこかしらに存在していると思うのです。
古代より集団でないと生きていけないという社会を形成してきたから。
という分析をしておりますが、また違うお話になりますので
今回は掘り下げないことにします。

また、同一意識を守らないことに腹を立てる方までいらっしゃいます。
マスクの着用率が高い国であるというのはこういった背景も
あるからだと思っていますし、◯◯警察などと言う言葉も
これに当たるのかなと勝手に想像しています。

ただ、その◯◯警察の方々が信心深い方であればいいのですが、
私がお会いした中では残念ながら集団内での当面の秩序を盾にして
裏では利己的な動きをされる方が多い様に思います。

それは文化といえば文化ですが、実生活が欧米化した社会で
思考のみが既存のフォーマットにハマるズレによって
平均の円の中に取り込まれない人たち。
ここでいう社会的マイノリティーな人種は
どうしても疎外されてしまうということが往々として起こります。

私に至ってはすでに諦めの境地なのか、
「あんな人間だから仕方ないね」っと言われていることは承知で。笑
周りの方達が理解をしてくれる中でお仕事をいただき、
同様にビジネスとして信用して取引してくれる会社も
初めに比べればかなり多くなってきました。

昔から不思議に思うことが周りと違う様で、
「誰もやったことも見たこともないこと。
 周りが気にならない様なこと。」
そんなことばかり気になるのですから
やはり周りの人間は幼い時から異常を察知します。

当の本人もこのことが異常だと気付いたのは30歳手前のことだったので
その歳までは私も周りと同じ様な「普通」の人間だと本気で思っていましたから、
当時は相当に生きにくかったのだと思いますし、周りの人間からすると
私が扱いにくい人間であったことには間違いがありません。

幼少期から「仕組み」や「原理」が気になり、昔から好きな自転車は
パーツを全て分解しては1から組み立てる様な青年期を過ごしました。
そのおかげでという訳ではないですが、私は当時山の上に立つ高校に通っており、
自転車通学率の高い高校でしたのでパンク修理屋として活躍していました。笑
放課後にはどこからか勝手に持ち出したバケツに水を張り、
学友から修理代を巻き上げるべく体育館前の駐輪場の輪止めに腰掛けておりました。

いつかも書きましたが、いつしか大学生になり、
就職活動を入り口とする一般企業に就職する気が全くなかったので
大学を中退して当時中毒のようにのめり込んでいた世界。
実力主義のアパレルの世界を選びました。
当時は今より厳しい縦社会で、ヤンキー上がりという様な
アウトローな方が多かった世界でしたので相当揉まれました。笑
*私は広島出身であってもヤンキーではありません。

仕事をし始めてしばらくしてから
「何かが違う…」と思ったのは他の人よりミスが多かったことで。
一番大きな違和感は、『自分でもミスの理由が分からない。』ということでした。

その違和感はどんどん広がっていきます。
納品書を入力して帳簿をつけていたのに、気付いた時には店頭のディスプレイを考えていたり。
PCでHP管理をしているはずなのに、今度は次のシーズンのイメージを検索していたり。。と。
周りに同じ様な方がいらっしゃるとすぐに想像がつくと思います。

私の違和感の正体はなんだったのかというと、その歳になるまで自身の心のハンドルを
一切自身で握らぬまま私自身の運転をし続けてきたという事実でした。

当時の一番大きなミスでは、、
仕入れ権限もあった私は会社のお金を使わせていただき行っていた
バイイングで予定の120%を超える仕入れを行っていることが期中に判明し、
会社に何百万の損害を与えてしまいました。

ハンドルを握っていない訳ですから、そりゃ事故りますよね。
何度も仕事上の大事故を繰り返すうち、上司も私に大きな仕事をくれなくなってきます。
これも当たり前です。自分で説明がつかないことなので周りもこれを性格だと判断します。
ミスした理由も自分では分かりませんから、社内にとんでもない爆弾があるということになります。

そうして私は最初の職場で単純に居場所をなくしたのです。

それでも私は「普通の人間」だと思い込んでいると、
普通に出勤をしたはずだったある朝、私を突然ある症状が襲いました。

いつも通勤に片道1時間半をかけて電車で出社していましたが、
急に電車の中で立っていられなくなり、
その空間にいることが困難になる程、息ができなくなってしまいました。
すぐに車両から抜け出して新鮮な空気を吸いたくなりました。
およそ10年以上前の出来事ですが、扉の隙間から指を出して、
「早く扉を空けて欲しい!助けて!」っと思い
少しでも外の空気に触れていたかったことだけ鮮明に覚えています。

いつも降りる駅ではない所でしたが、扉が開くとすぐに飛び出して
ホームのベンチに座り込み、息が整うまで座っていましたが
それでも治らず駅のトイレに駆け込むとそこから会社に遅刻の電話をしました。
1時間ほどトイレの個室で休むと治りましたが、
その日はそのまま遅れて出勤をし普通に1日終わりました。
しかしそこからでした。。
通勤に必要な電車にどうしても乗れなくなってしまったのです。

当時は結婚したばかりで妻にも心配をかけることもできないし、
共に仕事をしていたので迷惑をかけることはできないと思い
最初はごまかして車で通勤しようと思いましたが、
意を決して相談することにしました。

そうすると妻に病院に行ってみなさいと言われたので
当時はかなり嫌だった精神科で診てもらうことにしました。

なぜ通院が嫌だったかというと私の通った大学では心理学科があり、
私も大まかにはその専攻をしていて、サブとして臨床心理学も受講していたのですが
①その先生が生徒を見ず黒板と授業をする難のある方だったこと
②生徒も鬱症状っぽい方が多かった様に記憶していたこと
③プラスして当時は「自分はノーマルだ」という自負があったこと
そんな臨床心理の世界を少し斜めに見ていたこともあったのかもしれません。
嫌々でしたが休みの日にその病院に行き診察を受けました。

当時私の中に偏見のあった精神科に行ってみると案外普通で、
暗い雰囲気というよりはいつも行く内科と同じ様な待合の雰囲気。

ちょっと安心した私は初診の問診票に記入をして順番を待ちました。
当時は電通の過労死事件などの前でしたので、嫌な理由としては
まだ精神的なストレスが仕事にも影響を及ぼすというのが
社会的にはっきりとはしていない時期ということもありました。
根性のない奴など。そう見られることが嫌だったんだと思います。

少し待つとすぐに診察室に通されました。
診察を受けるとその時の症状や仕事や生活リズム。
至っては幼少期のこともあれこれ聞かれました。
意外にもかなり早い時点でサラッと診断が出たのですが、

「ADHDだね」っと明るく言われたのです。

ご存知の方も多いので敢えてご説明しませんが
ADHDとは「注意欠陥・多動障害」のことです。

お医者様が言うには私の場合は社会適応しているので
今更薬を飲むことも勧めないし、ある程度自分で注意をしてれば
上手く付き合っていくことができそうだと言われました。
そしてそのお医者様は自慢げな表情で
「なぜなら私もADHDだから」っというと診察室の本棚を指差します。

確かに本棚とその下にあるキャビネットの上、
その隣にある机の上と順に目を移していくとグチャグチャで、
時系列によって書類と本が層の様に積み重なります。笑

聞くと激しい運動を好むというのも特徴の一つの様で、、
当時は仕事が終わってから夜中でも朝方でも自身のロードバイクで
爆走しなければ寝れないこともその症状の一つと言われてしまいました。

「ロードバイクも私もやってたよ・・後は登山も。
 君、植村直己さんの本は読んだことがある?」っと聞かれると

二人の息がっぴったり合い、
「青春を山にかけて!!」

そのタイトルの同調は今思えばまさにADHD患者同士の掛け合いだったのだと
今でも少し笑えますが、その答えの一致に一気に仲良くなってしまい
診察を忘れお互いの身の上話に花が咲いてしまいます。

私も当時、その本に影響されまたもや仕事終わりに
心拍計を装着し、高心拍を維持したまま富士山を登りにいくなどのハードな
トレーニングを課していたことまで見事にADHD症状に一致するではないですか。

今ではそんなことを普通にやっていたと思えば間違いなく異常だと分かるのですが。笑
当時はこれでもかというほどに自身のことが見えていなかったのです。
今でもADHDの影響はありますし、先天性で自然治癒することはないので
特に初めての方とお話しする際には相当気を付けています。

当時仕事上のミスを繰り返してしまった理由としては
まず、タスクが複数あると瞬時に横並びに並列化してしまうので、
時間軸に対して縦に優先順位をつけることができず、
あっちこっちに飛び火し、時間がかかる上にミスも多くなるというケースが
常態化していたことにあるのだと分かります。

それと、今でもその傾向がある方に出会うと分かるのですが、
お医者様と同様に同種の方にはかなり波長が合ってしまい
話が長くなる傾向があります。
これも私の思うADHDの症状の一つです。笑
その診察や雑談は1時間ほどに及び、診察室を出る際には
看護婦さんがみんな呆れてしまって笑っていました。

最後に「次の診察をいつにしますか?」っと聞かれましたが私は
「もう症状が分かったので通院はやめます。ありがとうございました。」
とだけ言って帰り、あれから精神科にお世話になる症状や違和感は生まれていません。

帰りのエレベータに乗って妻にお礼の電話をし、
そこからの帰路は一度死んで生まれ変わった程の開放感でした。

今まで30年。一人で解けなかった謎が一瞬で解けてしまったので
そこからのスピード感はとてつもなく早かったです。
まず居場所のなかった会社を辞めさせていただくこととし、
(お世話になった社長夫妻には今でも親の様に接してもらっています)
この店の原点となった「寝具業界」に挑むこととなりました。

そのお医者様に診ていただいた事には感謝していますし、
当時そんな状態でもそばに置いてくれた当時の社長には
足を向けて寝ることなどできない状態です。
あれからおよそ10年。感情の上下動はありますが、
ADHDの自覚と戦いながらも上手く付き合ってきています。

この文章を書いたのには同じ症状で悩んでいるお若い方や
そのお子さんを持つ親御さんなどがいらっしゃるのではと思ったからです。

私の略歴の中には入っていませんが、実は寝具店を開く前に開業資金を貯めるため
学習塾のアドバイザー兼営業の様な仕事をしていたことがあります。
布団屋での経歴を見てくれていた方からお誘いがあり、給料も年俸制で、
好条件で交渉ができたことから思い切って飛び込む事にしました。

今まで全く関係のない現代受験戦争や学歴社会のことを深く知ることにもつながり、
俗に言うハイランクな生活をされている方達の考えや生活を少しだけ見せていただくこともできました。
毎日知らないことばかりで仕事内容はとても楽しかったのです。

通塾する親子の中にはたくさんのケースがあり、みんな成績がいいことに間違いはないのですが、
同じ様にADHDの症状がある子達や、まともに授業を受けられない子達もたくさんいます。
その学習塾は集団授業でしたので講師もそんな子たちに構ってはいられません。

私のように本人も親御さんもそのことに気付いていないご家庭もたくさんあるのだと知りました。
その際にはご面談でご用立てし、個別面談にてその経緯をお一人お一人に伝えていたりもしました。
私も彼らと同じく小学校まで勉強は好きで、成績で困ったこともありませんし
多少なりですが「お受験」と言われる幼稚園から小学受験対策の塾に、
また小4までは私立中学受験対策の塾に所属していたので
なんとなく成績で順位がつく世界のことは子供側に立って
分かる立場にいたのですが、勉強のできる子に限って一定の確率で
私の様に本当の自分のことを知らない子供たちがたくさんいます。
彼らも同じく小学校では居場所がなく、塾に来る方が楽しいし
勉強も面白いと言ってくれることもありました。

そんな子たちには「俯瞰して自分を知ってもらうこと」からスタートしてもらいます。
勉強のテクニックを詰め込むよりも、今この瞬間になんで自分がそう行動するのか。
もしくはしたいのか。物事の優先順位の判断がつく瞬間を意識して
この俯瞰する意識を知ってもらうことから進める方が後々になって楽になります。

これも自身の体験が大きいと思うのですが、恐らく本人たちの力だけでは
一生かかっても気付かないという子達もたくさんいて、
そのまま大人になって集団の中で馴染めずにイジメにあったり、
社会的立場がなくなってしまう。という方も往々としていらっしゃると思うのです。

生産性を求められる社会活動することを早々に終え、
個人として社会貢献活動を行うことで幾分精神的に楽な生活を
手にすることができましたし、私にとって固執してしまう部分が
皆さんの睡眠と健康に役立つ。という図式を少しづつですが
確立できているということもあります。

まずADHD症状で苦しんでいらっしゃる方には
いろんな方法があることを知って欲しいですし、
沢山のことを知っていて寄り添ってくれる第三者から
そのことを教えてもらうことが非常に重要だと思うのです。

その多くは遺伝性と言われていますから、
私の親を見てもやはり同じことが言えます。
そりゃみんな気付けませんよね。笑
完全な大人になるまでにたくさんの方と関わり教えてもらう中で、
誰かが気付いていち早く修正してもらうことが重要です。

周りに同じ様な症状があればできるだけ思考の柔らかい内に
そっと手を差し伸べて気付かせてあげることができれば
集団や社会の中でもきっといい距離感を保って生きていくことができます。

これも他者理解の延長ですし、可能性の話になります。
周りにそんな方がいればぜひ広い心で受け止めてあげてください。
そして、それが本人にとって衝撃だとしても気付かせてあげて欲しいのです。

マイノリティーであることに私は多大な劣等感もありますが、
今では他の人と違うことを思考できるという財産を手にしました。
無価値だったものが突然輝き出す瞬間が見えるはずです。
これは自分では気付かなかったことですが、
今では仕事上で繋がる方にはよく言われます。
「どんなことをいつも考えているんですか??」と。笑

私にとっては普通でも、多くの方から見れば普通じゃないことを
面白がっていただけることもあります。
それからはこれはギフトだと思える様になりました。

この文章を読んでこんな奴に寝具を任せられるか!っと
思われる方も当然あることと思いますが、私は私のできることと
やりたいことを中心にして社会との接点を見出していきます。

「たかが寝具。されど寝具。」
皆さんが今この瞬間にも使っていらっしゃるただの寝るための道具ですが、
引き続き見たこともない、体感したこともない素晴らしい
体験のできる未来への可能性として寝具をお届けしていきます。


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