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2022/02/19 21:09

先日抜き打ちの消防点検があり、消防局の消防士さんたちが

3、4人連れ立っての立ち入り検査がありました。

先日の大阪のビル火災を受けて入居するような商業テナントビルは
点検があると聞いてはいましたが、土日の昼間のご来客中だったので
「申し訳ないですがお客様がいらっしゃるのでまた今度にしていただけますか?」
っとお願いするとその日はすんなり次回に回していただくことになりました。

別にこれ自体が失礼だとか、トラブルになったという話ではないのですが、
共にこれが仕事なので申し訳ないなっとも思いつつも、帰り際にその方々が話す様子を見ていると
「こんなとこあるんだね」っという顔でその日はお帰りになりました。

数日後にお電話があり、今度は平日のお昼間に立ち入りをさせて
欲しいということで即日でおみえになりました。
点検自体は思ったよりスムーズで、一番若手の方が窓口になり、その奥に数人の上長の方が
おみえになるというフォーメーションで聞き取りに対して受け答えしていました。

その最中、私は慣れているのでなんとも思いませんし、
前回の帰り際に不思議そうな顔をされていたので来るかなっと思っていましたが、
上長の方が初めて口を開きいつもの質問を投げかけてきます。

「これで生計を立てられているんですよね?成り立つのですか?」

嘘でしょ?っと思われる方もあるかもしれませんが、
本当にこの質問が多いので、いつも「ご飯が食べていければいいという程度です」
と返すのですが、この返答に対しての私への追求は毎度ありません 笑

消防士さんたちとは違い、私は資格もないですし
この職業のマイスターが世界的に認められているわけでもない
それなりの職にしか就ていない状況なのでどう思われようとよいのですが、
いつもこのことで毎回私の扱う商品の特異性に気付くのです。

それは「不必要」ということだと思います。
恐らく誰にとっても必要のないものを扱っています。




その質問の裏には「こんなものが売れるの?」っという疑問が
素直な好奇心になって言葉に変わるのだと思いますが、
この質問が続く限りはおそらく私の扱う寝具という道具は
多くの方にとってはそもそも不必要ということ。だと思っています。

どの商品にも分かりやすいブランドロゴもありませんし、
寝具はそもそも人に見せるものでもないので
見栄を張って買うものでもない。そう思っていました。

しかし、私は大手寝具業態に入った際にその考えは打ち砕かれました。
売り上げ比率を分析すると売れているのは超安物か超高額商品。
そのどちらかだったのです。

元来、寝具という特性は着物・宝石などの売り方と似ていると思っていて、
未だに紅白幕を張ってお客さんを集めて超高額品を売る。というイベントやっています。
その業種の方々が見ていれば申し訳ないですが、素人から見ればそうだったのです。

現在の工場との人脈や商品開発のノウハウ。
海外での生産や貿易実務。経験値などは多分にいただきましたので
今でも非常に感謝していますし、寝具のいろはをいただいた先輩方は
その会社に所属されています。私自身も全くの円満で退社していますし、
独立もある程度離れたところで開店させるべきと思い、
その会社の店舗からは離れたエリアに出店しました。

会社を辞めてもう7年程ですが、未だその際に出会った方と連絡を取っています。笑
ただ、お話ししたようなことがあり
私はその見栄の商売の仕方に疑問を持って会社を辞めました。



こんなことを書くとまた色んなところから連絡が来るので、、笑
口撃をしたいわけではなく、事実として聞いていただければ良いのですが。
なぜか一方の超高額商品に限って悪意のある値付けが行われています。
その理由として過激な値引きによって即日購入を迫り、
比較対象もなく消費者を酔わせて売る販売がまかり通っているからです。

そもそもの話をすればその手の寝具を販売する
方々の多くは寝具でなくとも良いのです。
分かりやすく言うと「売れれば正義」「売るものは何でも良い」ということです。
生粋の販売業のプロなのでそういった点では尊敬しますが、
私はその販売の仕方見た時にアレルギーのように反応が出ました。

最初の話に戻ると恐らく人の消費行動は分かり易く、
「見栄」と「欲」を満たされた場合に大きなビジネスに
変化していくのだと感じたのです。
高層マンション、高級腕時計、高級自動車、、、、
挙げればキリはないですが、程々の域を超えた時
人間の欲に終わりはないのだとそう感じています。

私はその現状に失望し、もっと現代の日本人に適正な寝具が
この世にあるのではないかということを追求したくなったのです。
この時点でメインストリームからドロップすることを決めたので、
消防士さんなどからご質問を受けるいつもの疑問に対しては
長い理由ですが、その様にしかお答えができないという訳なのです。




日本の寝具は綿屋さんと呼ばれる綿の原料メーカーから布団職人になるケースと
呉服屋さんで販売されているものだったので。その二つの業態が変化して
街の布団屋になったと私は考えています。綿花も当時は大変貴重なものだったので
江戸末期まで布団屋という職業は存在しませんでした。

現在布団も呉服も共に数を減らしていますし、どのジャンルも消費者サイドから
睡眠について専門的な知識を持った方が増えていくと予想します。
恐らく私の様なアウトサイダーも出てくると思いますね。
情報が簡単に取り出せる現代では上記の様な売り方もどうも通用しなくなると思うのです。

ただ、、、
「見栄」や「欲」満たすものはこれからも売れ続けると思います。
これが人間の本質だと思うからです。


私は以前にブログでお話ししたことがあるかもしれませんが、
私は広島出身で曾祖父母も戦時中に被爆しており、戦争体験を幼少期から
語り部の方々を通して近い距離感の中で育ってきました。
「戦争」というものに強い嫌悪があり、この活動も世界平和の為と思っています。

人の欲望や嫉妬心というものは他の動物にない複雑な感情だと思っています。
見栄から嫉妬が生まれ、これが人を傷つけてしまう一番の原因になると思っています。
小さいもの。大きなもの。全てを拒否するという訳ではなく。
アウシュビッツに実際に行って感じたことが大きかったと思っていますが
そういった類のものから距離を置くことを心がけています。


全く関係ないですし、もうそろそろ終わりますが、、
最近80年代〜90年代に活躍したファッションデザイナーの
軌跡をたどることが面白く、ファッションを通して何が訴えたかったのかや、
既存概念を打ち破る方法はなんだったのかを少しでも理解しようと思っています。

お好きな方はもうご存知なのであまり話しません。
若干の時期はずれますがエルメスのデザイナーも務めたマルタン・マルジェラや
コムデギャルソンの川久保玲、山本耀司などが当時の主流に反旗を掲げて、
当時の富裕層に向けた一方向性のファッションの可能性を広げ、
文化として昇華し庶民にも解放したのだと考えています。
恐らく彼らが若かった時には体力的にも精神的にも財政的にも追い込まれた、
恵まれていない環境でプロダクトを行っていたのだと思います。
*We Margielaという映画あります。お知りになりたい方はそこで。

彼らはブランドロゴを消したり、あえて破ったり、穴を開けたり。
ハイブランドが採用したモノグラムなどのものもなく、無地に特化したり。
決して分かり易い解釈ではなく、彼らが静かなパンクの精神で戦った時代でしたし
それを支えていたファンもまた社会経済と同調し広がっていきました。
川久保玲がコレクションを発表した際には「黒の衝撃」という言葉もありますし、
当時はそれを着る方々を「カラス族」とか。そんな言葉もあったようですね。
私の生まれ、育った80年代から90年代はそんな時代だったのだと思います。

ただその方々は上の世代であって、現代の私たちのファッション感はどうでしょうか。
程良く収まるもの。真似し易いもの。全てが視覚を通して画像に並列する時代ですし
画像で加工するまでがパッケージになっています。
しかし、逆に彼らは現在佳境に立たされていて、
マルタンに至っては強者に買い取られてしまい
そのプロダクトの血肉や精神まで引き継がれたものではないと私は思っています。

昭和の物言う方々。この人たちもはみ出た方だと思いますが、笑
脚本家、池波正太郎や、作家界の異端児である三島由紀夫が
自身のファッション理論で奇しくも同じ様なことを発言しています。
共に独自の価値観を持っていたのだと思いますが、
「我々は東洋人であると。毎日裸で鏡を良く見なさい。」という趣旨です。
いくら洋服を着て英語を喋ろうが海外に行こうが、ここにある肉体という物質は
日本人という枠からはみ出ることはないと言うんですね。
見栄や欲というものは本質をどこかに置き去りにします。


ただ店頭にいると今の若い方々の中に現状に疑問を持って、
その背景に興味を持ち始めようとしているのでは?
と思うこともあります。そしてその可能性に大きな期待しています。




話は元に戻りますが、私が商品を選ぶ時に大切にしているのはテクスチャーです。
「肌触り、手触りが良いこと」これは実際に触らないと分かりませんし、
HP内の写真も、素人ながらこのテクスチャーと毎度戦っています。
どうすればその手触り感が残るのか、
これを作る為の工程において何をすれば良いか。
それを考えて行動に移しています。

一番最初の話に戻ると。
「不必要」=「テクスチャー」だと思っています。
数値化やエビデンスが取れるジャンルでもなく。
一番分かりにくいものだと考えているからです。
だから伝えないといけませんし、こうやって文字に変換しています。

今や原料の高騰や広告宣伝費の増加などもあり、
ハイブランドでさえ天然素材が使えない現状があります。
無機物か有機物か。その違いは手触りでしか判別できませんが
それを触る末端の消費者の感覚は鈍感になると予想しています。
なぜなら身の回りのものから自然の物を触る機会が減り、
既存との比較対象が持てなくなるからです。



私は今、太古から脈々と続く見えないものを感じて仕事をしていますし、
それを次の世代に残さなくてはいけないと思っています。
全ての価値観を合わせることは不要なので、安価でそれなりの寝具が売れている現状も
否定はしませんし、その寝具を使われた方がより幸せになる実数が多いのも事実です。
そして既存価値に争ってきたファッションデザイナー達が埋もれているのも事実。

ただ、デザインは不要。アートは不要。コスト増は悪。
と言いだすともう私は何もできません 笑

ただこのデザインやアートという感覚は他者とコミュニケーションし、
そこに生まれる価値を後世に残すことのみは可能になります。
潰えてしまうと終わりですからこれから先もこういった感覚を
これからも大切に。
存分に不必要なものと向き合っていこうと思っています。



現在新しいベッドフレームのご依頼をいただいています。
私の大好きな建築家の構造から構想したものを作成しようと思っています。
またいつか完成しましたらご紹介させていただきます。




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