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2023/01/13 18:52

こんな個人的な内容を書くつもりもあまりなかったのですが、、

いつもの稚拙な文章とともに葬り去る過去の遺物として書き進めます。

昨年末、今年は例年より早くお店を休むことにして告知をしました。
私が営むもう一つの仕事は子供服屋の運営なのですが、これが大型のショッピングモールに
入居しているので年末年始もなく、今年はなんとなく人がごった返すことを予想したためです。
そして今年は主要メンバーの一人が年末に辞めて、人の入れ替わりがあったことと
コロナの感染によって出勤できるメンバーが少なくなることを予期してのことでした。



思ったより新しいメンバーの馴染みが良く、スタッフのコロナ感染者や濃厚接触者も
抑えることができたために、私が店頭に立つことも無くなりました。
私の異常な出立にお子様方が恐怖することも無くなりましたから、
(私が店頭に立っていると、目が合ったお子様の大部分が「ヒッ!」っとなってから逃げ出します 笑)
ぼーっといろんなことを振り返りながら1年色んなお客様の顔を思い出していました。

そうこうしていると年末に体調も回復して。年始の土日にご予約もなかったので
「やることもないしな。」「体も心も元気になったし、年始の土日で急遽だけど、イベントやろう。」
と思い立ち、ぜんざいを手配して振舞うこととし、豊田市の藤岡で定食屋を営む「カカ」さんに
私の信頼する大嶋さん(農家さん)の育てたミネアサヒを提供して、おむすび弁当を作ることとしました。



急遽のことだし、準備も間に合わないし。なるべく大々的にやらないようにっと思ったのですが
何かあるといけないと思ったので、土曜日だけはお手伝いを前職の職場の後輩に頼んで
新しい年、2023年の新年を迎えました。そうすると農家の大嶋さんの奥様から
「発芽玄米のおもちを作ったから食べてください」と美味しいお餅をいただくことができたので
これをぜんざいの中に一緒に入れることができました。なんてタイムリー!!最高!!
一年の始まりから今年も人に助けられて恵まれているなと実感することができました。

「しかし・・・なんでぜんざい??」っと思われるかもしれないですが。
ただ、私が正月に毎年食べているぜんざいを食べる瞬間が単純に好きという理由なだけで。。
きっとあんこが嫌いな人もいるけど、おむすびが嫌いな人はきっといないだろうから
この二つを前年の感謝の気持ちと、本年もよろしくお願いします!ということでイベントを行いました。

予想通りいい具合ののんびりした時間で。会いたい方にもお会いできたし、
新しいお客様との出会いもあり。また、たくさんのお年賀もいただいて。
初売りの羽毛布団も予定数を販売することができ。楽しい幕開けとなりました。
*何もなければ来年もぜんざいの提供はやろうかなと思っています。

そして最後のお客様を送り出した後に、夜に1件配達も行って、
年始から良い疲れの中で週末の営業を終えました。
ご来店いただいたお客様ありがとうございました!



そしてその夜は晩御飯をある友人に誘われていたので、配達を終えてから
いつものおばんざい屋さんに顔を出します。その中である話になりました。

私の所属している「豊田市商工会議所」は商人の集う集合体のことで。
中小企業の日々のお困りごとや、手続きや申請などをお手伝いしてくれたり。
私のような人間を地方でも独立支援してくれたりと。あらゆるビジネスを幅広く支援している団体です。
かの渋沢栄一さんが発起人となり組織された団体で。日本商工会議所を基点とし、
各主要都市にある団体なのですが、その中に商工会議所青年部という下部組織があります。

商工会議所の会員で構成されていて、多くは地域経済を支える中小企業の代表者・社長さんの集まりです。
地域によって異なりますが豊田市商工会議所青年部では25歳〜45歳のメンバーによって構成されています。
豊田市ではおよそ150名のメンバーが属していて、職業も年齢も、会社の大小も様々。
私は一人親方に近いものですから、その企業群の中では最小単位の会社になります。


*毎月の会議の他にもソフトボール大会やサッカー大会。全国大会の視察など。
 昨年は渉外業務のメンバーとしてお仕事させていただいておりました。


*秋田県現調視察

起業した2019年には私は豊田市になんの縁もゆかりもない人間でしたので、
ただ自宅が豊田にあり、職場もずっと名古屋方面なので。
1時間ほど掛けて通勤し、睡眠のために豊田に帰ってくるという
ホームタウンとしての利用法に留まっていましたし、地元でもないところに10年住んでも
何もなければ友人も知人もおらず、一緒にご飯を食べる友達なども全くいませんでした。

ここに入会したきっかけは、せっかく豊田市で出店したのであれば
ずっと住んでいる豊田市に何か恩返しがしたいし、この土地に1人もいない友人が欲しいなと思い、
独立を支援していただいたお礼も込めて入会することとしました。
現在は入会3年目でその中で多少ですが役割をいただくまでになりました。


*当店で靴磨きのレクチャーをしてくれる本田君も実はここで知り合いました。


商工会議所青年部。略してYEGと表記しますが。この単語を調べると
「YEG辞めたい」「YEGに入って旦那の夜遊びがひどい」など 笑
なんの為にやってるの?と言われることもありますが。自身は会社に属していた時のように
年齢関係なく、尊敬できる仕事の仕方を表現する方や、家庭と仕事のバランスを体現している方との出会いなど。
良いも悪いも。同時に色んなケースを見ることができるし、自身は研鑽の為にと思い入会していますが、
やはりその様に思われても仕方のない団体だと思う瞬間に出くわすこともあります。

同じ会社というわけでもありませんし、誰かから利益やお給料をもらっている訳ではありませんから
いろんな意思や思惑、思想や考え方の違いを私なりに理解し、楽しんで行っています。
役職などもあることから、雑に言えば「会社ごっこ」をしています。

毎日仕事をしてから活動している方が多いので時間もお金も奪われることですし、
部活感覚でやっていると本業よりも部活の方が楽しくなってしまう方もいます。
やり方も参加度・貢献度も人それぞれなので他団体も含めてメリットもデメリットもある団体です。
正直に言って、良くも悪くも色んなご意見がありますが、私はこの団体に入って良かったと思っていますし、
豊田に住んでいる身として、この場所をもっと好きになるきっかけをくれた事に変わりはないです。

その中で同期入会として出会った方々の中に、夕食に誘ってくれた友人もいるのですが
初めは右も左もわからず、誰一人知らない顔の中で。
彼は生まれも育ちも豊田市。色んな関係性やパワーバランスなどを含めて、
人間関係の相関図を教えてくれた友人でもあります。

彼は入会当初サラリーマンで、企業出向者として入会していました。
知り合ってから間も無くしてすぐに独立して一人で清掃・エアコン工事事業を立ち上げた人物でもあります。
会社を起こしたのが近かったこともあり、3年経った今でも定期的に食事をして
色々な議論を交わす友人でもあるのですが、彼の仕事ぶりは徹底していて
「根っからの潔癖症で掃除好き」というのがきっかけで事業を起こしています。
この時世の中でもなんとなく根幹の似通った部分をお互いが感じ取り、
一緒の時間を過ごす事が多くなっていきました。

その日も期限であった資料作成と提出を一緒に終えて、その流れだったのですが。
私も彼も恐らくある同じ共通点を感じています。「コンプレックスがある」という事です。

彼は失礼ながら学歴というものがほとんどありません。PCの使い方なども誰にも教わった事がありません。
中高とろくに通わず、豊田市の中でもアウトローとしての過去を背負っています。

私はヤンキーというわけではありませんが、なんとなく学校で学ぶ一律した座学というものに
ずっと疑問を感じながら通っていましたし、大学生になってアルバイトを始めると
アルバイトとして社会に接する事の方が楽しくなって、人から褒められたり、
評価を得る点が増えた事によって、大学もろくに通わなくなっていったという共通する過去を背負っています。
勉強ができても自分の為ですし、しかしアルバイトとして仕事をすれば、年齢は関係なく
他者の気持ちの中に少しでも介在することができたことが単純に嬉しかったのだと思いますが、
この勘違いが現在に繋がっていきますから、遠回りも無駄ではなかったと今ではそう感じたりします。



私が企業に属していた際も社会に出ると「学歴など関係ない」と言われた事もありますが、
一部では我々の様な脱落組を「不真面目者」と思われる方もあろうと覚悟しているので
ある種卑下される事も当然と思いながら今も暮らしていますが、どこか得体の知れない
コンプレックスを抱えながら仕事や生活と向き合っています。

そして今日も同じ話になったのですが、私も彼も集団の中では好んで多少孤立していまして、、 笑
決して他者を受け付けないとかではないのですが、いい具合の距離感を探りながら付かず離れずの場所を
自分で探してから居場所を作るのですが。
これは「お互いにコンプレックスがあるからだ」と言う結論になりました。

コンプレックスがある人間は恵まれていて、現状に満足がいかない。
死ぬまで抱えた劣等感の中でどうにか現状をクリアする為に考えて行動する。
コンプレックスに色んな解釈はありますが、自信とは読んで字のごとく「自身を信じる事」ですから
一般的な「自信」という慢心的な意味とは違う意味合いになるのかもしれませんが、
これは劣等感から来る自信であって、プライドとは別のもの。これは天からのギフトだと思うのです。

どんな人間もコンプレックスはあると思いますが、他者評価を気にするあまり
それに精を出しすぎても本末転倒。何事も自分の仕事で社会を良くすることはできないと考えています。

この文章をお若い方が読んでいるとは到底思いませんが、(同世代以上の方すみません。。)
若い時には当然周りが見えず、経験や想像力も乏しい訳ですから。自分が接している水面の事しか
考えることができませんが、その波紋が自分の想像のつかないところにまで、良いことも悪いことも
影響を及ぼしてしまうことは全く気付きもしません。
「若さ」とは経験・想像力不足による近接社会への配慮の欠如だと考えていますし、
今ではそれで健全と思っていますが、お若い方の中には本当にこの方は20代だろうか?
何回目の人生ですか??という様な方もいらっしゃいますよね。



話は変わりますが、日本の学生運動の波は30年に1度起こると言われていて、
60年代の方々と90年代の我々と、これから先の2020年代以降の今の若者では
恐らく感じ方や思想が違っていて。
ロストジェネレーションと呼ばれると呼ばれる世代がどこを指すかによりますが、
我々の感覚ともまた違っていることを店頭でも感じていたりします。
満たされた時代の仮想空間内での自由なコミュニケーションができる様になったことは
無条件に知識や経験を得られる、社会にとってのツールになったことは間違いはありませんが
逆にいうと良い例が見える一方で、悪い例は意図的に包み隠せる様になってきました。
何を目的にするかですが、裏垢(裏アカウント)というものはその最たるものと思いますね。

ある意味でアウトローやカウンターであった文化や文明が少しづつ薄くなりつつあるのではないかなと
そう思います。服装や音楽は分かりやすい社会階級の表現だと思っていて、自分がどこに属したいのか。
町人なのか、農工民なのか、商人なのか、お大臣(ブルジョア)なのか。その選択性は広くあるべきと思っています。

バズコミュニケーションがもたらした多様性という世の中の価値で、
最も見えなくなってしまったのはこの社会的な帰属意識に含まれるカウンターの表現では?と思っています。
分かりやすく言うとパンクやヤンキー文化だと思っています。

友人が通ってきた暗く怪しい世界に通づる道。これも無くなりつつありますし。
そこに引き込まれないようにする察知能力も不要になってきています。
私は広島県府中町出身で90年代はおそらくまだこの地元にはヤンキー文化が残っていました。
中学生の同級生には当時薬物に手を出す人間もいましたし、上部組織と仲の良い人間もいました。
今私が住んでいる豊田市も同じような境遇の方が多いのですが、共に国策として打ち出された
車産業主体のメッカに今も昔も住んでいます。
まだ中小規模の工場も含めて生産畑はブルーワーカーの多い時代でしたし、
私が小学生の頃はブラジルやペルーなどから沢山の労働者が来ていて、
日本語学級がどの学校にもあり、彼らも友人たちの親も工場に勤めている方が多かったように思います。



工業都市で起こる文化。私はテクノという80〜90年代に前世を迎えた電子音楽(クラフトワーク・YMOなど)
工業都市でのカウンター文化(パンクと同じだと思っています)がとても好きで。
デトロイト・シカゴ・マンチェスター・リバプール・ベルリンなどで流行した歴史を
日本に持ち込んで昇華し、また日本のものとして海外で活躍したある人物が好きなのですが、
彼はテクノのことを「都市の民族音楽」だと言っています。
当時はSTUDIOVOICEという雑誌などに齧り付いて、その足跡を追っていましたが。



肉体労働者の多い地域でなぜパンクやテクノが育ってきたのかというと、
恐らく恵まれない環境下でDIYから始めるしか方法がない若者たちが実験的に行ってきた
コンプレックスの音楽や外装であって、ストレートにそう表現することで、
ある種社会に自身の存在意義の確立と親(家庭社会)への反抗として原始的に行われてきた文化なのでは?と思います。

社会もそれを容認するほどの豊かさを持っていたし、そういった若者への配慮や余白もあって
色んなものとぶつかって人が成長し、更生していく社会的な構造があったのではと思うんです。
構造化・システム化が進んだ日本ではそれを異物とする排除の動きが進んだのでしょうね。
逆に若者が反抗や自分の意思を貫くことなどが無駄と思っている節があるのかもしれませんし、
我々がそれを助長していることもあるのかもしれません。

先日、近くのコーヒーショップのオーナーと学生の時の話になった際に。
彼も多分に漏れずパンクが好きだったことを聞きました。高校生の時にはモヒカンで通っていて
学校に入れなかったということを聞いて「やはりこの人もか!!」っとなりました。

そんな私たちの上の世代から「恥ずかしいから辞めなさい」という人が増えたのか、
「そんな格好ダサいよね」という美意識が世の中に差し向けられていったかは分からないですが。
昔読んでいた雑誌で「FRUITS」「TUNE」というストリートスナップを私は大学の購買に
毎月取り寄せしていて。興味がある方は検索していただければ良いのですが、
この雑誌が無くなった理由は「面白い若者が減ったから」とのことでした。



広告が今のような雑誌の形態のようになる前のものと考えていますが、
内容も今の様な時代背景では掲載はかなり難しいと思います。布団や毛布をぐるぐるに巻いている
路上生活をされている方のそのものをスナップとして掲載していることもあって、
私はバイト先の店長とそれを広げて毎月興奮していたことを思い出します。
コンプレックスなせる表現とはとても人間的で原始的な。
反抗も批判も介在する未来を含んだ要素なのだと思っています。

今、この時に。ということを考えると時代錯誤も甚だしいのですが、
まだ私たちは最後の良い時代を見させてもらったと思っています。
偽物・本物が混在して融通無碍になっている混沌とした世界が私は好きです。
「正解はない」本物はそこに到達した人しか分からないのだと思います。

先日訪れた大竹伸朗展でも同じ様なことを感じました。
私も未完成が好きだし、スクラップやデコレーションには時間的制約はありません。
完成したもの。未完成のもの。どれも素晴らしいものと思いますが、
それを理解して咀嚼して、形のあるものとして吐き出せる余白を私の中にも持っていたい。



その為にこの「コンプレックス」という動機と死ぬまで向き合って
私は寝具と共にこの世を去っていきたいと思います。
*毎度言いますが死にたいわけじゃないです。笑

命を懸けられるもの。命を燃やせるもの。なんでも良いのですが、
それを焚き付ける燃料というのも非常に大切なのだと思います。



最後に。
自身のやり方に不正解などなく、この文でさえ私自身正解なのか不正解なのかどちらでも良いのです。
私は芸術家ではありませんが、売れることを当たり前として作られたものがアートか?
かの有名なバンクシーがシュレッダーをかけたのはそう言うことだったのでは?と思います。
売れる前提で作られるアートにはある種の「リスク」がありません。
売れるか売れないか、評価されるかされないか分からないから、アートは面白いのであって。
それをカテゴライズできないので、とりあえずは「アート」というひとまとまりにしている。
ということだと思っています。
好きか嫌いか。これがなんなのか?これを議論することが本来のアートなのでしょう。
だから正解はなくて良いのです。売れるか売れないか分からない。

絶対こうした方が売れるのは分かっているけど。とか、
自身の法則を優先して短期的な方法を取らない。とか、
それとも逆に、短期的なものをスクラップしながら表現していくなど。
このバランスが人それぞれ違うので、アートやビジネスとはその人柄が現れて非常に面白いのです。
その裏に隠れた思想を受け取った瞬間に、こちらもまた新しい発想が湧いていきます。
引き続き他者理解の拡張と、コンプレックスとの戦いの戦場に戻ります。

年始からかなり経って遅れましたが、、
昨年も大変お世話になりました。
皆様本年もよろしくお願いいたします。




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