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2023/04/21 11:42

当店のHPを見ていただける方が少しづつ多くなっている実感があり、
以前はお客様のつながりやご紹介などで来ていただくかが多かったのですが、
画面で商品をしっかり見てからいらっしゃる方や、中にはこのブログを読んで来ていただく方もあり、
もうすぐ開店から4年を迎える中でも多少なりの変化が出てきています。

中でもヘッドレスのベッドフレームや、無地のカバーリングなどを良いと言っていただける方があり
「シンプルな寝具屋」として認知いただいているのかなと思っています。


その中でも昨今、ミニマリストやミニマルという言葉がよく耳に入る様になりました。
何度か話はしていますが、布団屋という業態も金襴緞子のお殿様文化の歴史からスタートしていますから
呉服屋さんや綿屋さんが現在も営んでいるケースが多く、少しづつ変わってきていますが
やはり高級なものほど未だに豪華絢爛な紋様が配されているものがほとんどを占めます。

その意味で当店の寝具が「無地でシンプルが良い」と言われることに関しては
そう理解していただいていることにとても嬉しいことだと思っています。

またミニマルとは、少ない素材を用いてシンプルな生活(表現することも含み)を営むことを指すのだと理解していますが、
10年ほど前から「断捨離」という言葉が流行り始めた頃、この「ミニマリスト」という生き方に
ある種同調するような流れが出始めた様な気がしています。

これは私の考えなので、そうではないと言うご意見もあると理解して書きますが、
「断捨離」と「ミニマル」は基本的には無意識な支配的価値観からの解放に向けた考え方だと捉えています。
補足して言えば、内面的に「自由である」という意識が自身の核にある状態だと思います。

思想に派閥を設けたい訳ではなく、消費者の消費動向を掴む上で、
いつからか都合のいい解釈に成り変わっていったのでは?と不思議に感じています。

商品開発を手掛けていた際にも商品をお客様に手に取っていただくための努力。
つまりはマーケティングを当たり前のように行っていました。
一昔前ではシンプルなコピーがあれば良かったものが、更に理由づけを求めるようになりました。
その商品の特異点は何なのか。ということを強く打ち出すことになります。

断捨離、ミニマル、お片付けなど、この裏にも人の消費行動を促そうとする
マーケティングという支配思想が為されているものと思っています。

そしてこの「ミニマル」という言葉。お片付けなのどの収納術やモノを増やさない
倹約術の様に理解されることが多いのだと思いますが、表面的にものが少ないことと、
ミニマルであることはイコールにならないのではないかと思うのです。

私もどちらかというと、ものは少ない方がいいと持っていますが正直コレクターですので、
本や資料に、意味をなさないオブジェ、世界の民芸品など。。一向に物は少なくなりません 笑



これは興味や好奇心に関するものですので、所有することによって他社意識を理解できる手段が増えたり、
自身の思想や経験に成り代わっていると感じているので、恐らくこれは死ぬまで変わりません。
ごく自然的な欲求に従っているのだと感じていますが、それらを理解することで結果的に
ビジネスを通して「他者の幸せ」置き換われば一番良いのだと思いながら消費をしています。

まぁあれこれとよく喋るやつだと思われかねませんが、
私の思う「ミニマル」とは今そこにあるものを見つめて、その起源や人の意図。
更に遡っては今を作ってきた過去に生きた人たちの思想。
素材や組成が何であるのかを分子レベルまでを問う作業なのではと思っています。

その際に要らないものを捨てて、必要なものを残す。
物質的に思考的に「純度の高い」ものだけを残して、
「純度の悪い」ものを除いていく作業。
これをミニマルというのだと思っています。



話は変わりますが私が90年代夢中になっていた電子音の世界に、
ミニマルテクノというジャンルが登場します。電子音楽は都市の民族音楽と捉えていますが、
80年代から90年代にかけてハードテクノやアシッドハウスからレイブミュージックに昇華し、
とにかく音量や音源の多いものが好まれる時代がありました。

90年代に入ると急転して、きわめて音の構成が少なく、1小節のリズムを反復するもので
変動や動作が少ないものが多くなっていく時代がありました。10代の頃に自身が初めて
「ミニマル」という言葉を聞いたのはこの世界だったように記憶しています。

音の洪水のような80年代。アシッドハウスやハードトランスやガバなど、
異音や騒音のようなものから、いきなりアンビエントやミニマルなものが登場しました。

人は狂ったようなものに行き着くと、その反動を得たいと思うのだと思いますが、
音の重なりと共鳴の世界から、一音一音が粒単位として見直されたのだと考えています。
バスの音が「ボンッ」なのか「ボォン」なのか「ボゥン」なのかその違いを考えた上で
最適なものを譜面の上に置いていく作業だったのではないかと考えています。

私の事業に置き換えていうと「素材」ということにあります。
なるべく加工やパーツ数など。時には関わる人を減らしたもので構成して、
素材にしっかりと仕事をさせる環境を大切にする。

これもよくいう言葉ですが、当店に過保護な寝具はないと思っています。
これを使用する人間をある種素材として信頼しているからです。
人は修正・修復しようとしたり、悪いものを取り除く機能が元々に備わっていて
その機能を純粋に高めてあげればそれで良いと考えています。

プラスして地球で暮らす上での条件、時間概念や重力や気候のことなど。
今ある環境を理解しその環境に適応することと、生物としての人間の体の特異性を知った上で
人間の細胞が仕事をしてくれることを考えた素材選びと加工方法を考えて選定します。

視覚的な見た目のスッキリさやシンプルさはその一つ一つの選択の上
結果的に見えるものであって、単に外見的なシンプルさや、物自体のが引き起こす印象のみで
チョイスしている物ではないということです。

私が一番恐れているのは、見た目がシンプルで簡素であっても純度や密度が搾取されていたり、
人の熱量がこもっていないものを選択してして売ってしまいかねないという恐怖の裏返しでもあります。


その意味で言うと、単に物が少なくてシンプルなのではなく、その素材が必要なのか、
はたまた不必要なのかをしっかりと理解しながら進めていく作業に意味がることなのだと感じていますし、
それを理解するだけの知識と経験。自身の精神性の高さを求めていかないといけません。
その為に現地に出向き、農場や工場に行き話を伺い、原理を理解することを心がけています。

そんなことまでして値段が上がるなら止めろと言われかねませんが、
人の悪意や違和感をこの店内に持ち込みたくないと思い行っていることで
ゆくゆくは他者の暮らしや生活。ましては未来において創造的な関係性が
作れるのではないかと感じながらこの文章を書いています。

そんなこと黙っておけば良いと思われることもあると思いますし、
自身がやっていることを詳らかに文で標し、更に開かれた場所に置くというのは、
他者に余白を与えない自慰行為なのかもしれません。

しかし、この「寝具」というジャンルは人の意識がない時間に行われている行為であって。
誰しも自然に取ってしまう生理行動なので、興味・関心のある方が少なく、
意識的に睡眠を変えていこうという方がまだまだ少ないジャンルなのだと思っています。

全ては人の可能性。思想や哲学を持っている生産者との出会いはいつでも
誰か他の熱を持った方から紹介をいただき出会うもので、
「メディアの中の有名人や、Googleの検索上位に出てくる人ではなかった」
という実績が私をその偶然の世界に導いているのだと思います。



先日、私が通っている豊田のバーのオーナーさんからご連絡をいただき、
蒲郡で一杯やろうということになりました。

そこでは蒲郡の老舗カフェ「グランカフェ」のオーナーさんである青山さん。
そして豊田の老舗バー「ロンケーナ」のオーナー、一徳さん。
フジロックにも出演されているドラマー、ゴージャスさん。
ひと世代、ふた世代も上のカッコ良い先輩たちと一緒に美味しいものを食べて
お話をさせていただき、贅沢にも蒲郡のバーで良い時間を過ごさせていただきました。



みなさん文化的な店舗や活動をされてきた大先輩で、いただいた言葉を今も思い出しています。
同じ場所、同じ時間を共有できている現実が夢のような時間でした。

彼らが作ってきたものはとてもシンプルで単純明快。
一つのものを只管に磨き続けることなのだと信じて。
私の寝求道はまだまだ先の長いものになりそうです。



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