2回目の金沢はベッドフレームをピッキングするところからスタートします。
朝のうちに工場に入って工場長とご挨拶します。
すでに1台は組み立てられていて、最後にこちらから持ち込んだRELAX2000のモデルを
実際にはめ込んでみて最終チェックを終わらせました。
これが実に綺麗で。私はこの方たちに任せて良かったと思いました。
木のこともそうんだんですが、お節介というのか。
頼んでいないことまで形にしてくれていました。
まぁエンドユーザーさんから見ればなんともないことですし、
気づかないことなんですが、こういったところが見えるとこの人に任せて良かったと思えます。
オーストリアのリラックス社の寝具については今回多くは語りませんが、
この人たちの作るベッドにRELAX2000が収まるまでを見ていると、私は感動しました。
海外のベッドフレームは大きすぎて日本には不向きだろうと思っていたので、
やっと念願の落とし込みベッドフレームが、オーダーで作れる環境が作れたことに安堵と興奮を覚えました。
↓こちらはRELAX社のホームページです。寝具についてはこちらをご覧ください。
https://relax.eco/de/ (日本語非対応)
今回は旅の記録ですから、先に進みます。
金沢から北上しながら目指すは奥能登。珠洲市がゴールです。
途中でメーカーさんとランチをすることになり、折角なのでかほく市でお寿司をいただくことに。
「松の」さんというお寿司屋さんで一人前を握っていただきました。
人気のお店のようでカウンターに座ることはできませんでしたが、
着席までの1時間炎天下をふらふらと町歩きしてお腹を減らしました。
結果お腹が減ればなんでも美味く感じるのですが、旅行に行くと私はよく散歩をします。
この町の役割と、どんな人がどんな生活をしているのかを想像するとわくわくするのです。
歩いていると一つの建物に「すし」と書いてあるような文字を見つけました。
まさにこの文字が目に入ってきて。「どういう意味??」となりました。
調べてみると哲学者の西田幾多郎さんの母校の小学校だということが分かりました。
これは西田さんが書かれた「無」という文字だということも分かって、
調べているうちに西田幾多郎さんのことが知りたくなったのです。
これも予定になかったことで、調べるとすぐ近くに西田幾多郎記念哲学館なるものがあることを知ります。
お寿司も美味しかったのですが、それ以上に西田さんのことを知りたくなっていて
足はすでにそちらへ向いています。これも旅のいいところで。
歩いて気になったことを調べるのも良いのですが、毎度まぁ時間との戦いになります。
①石川県西田幾多郎記念哲学館
こちらの建築はかの安藤忠雄さんです。
かなり暑かったこともあって、館内は貸切です。
思ったよりも大きな建物で、見せていただける資料も沢山あります。
時間のあるときにゆっくり行くことが良いかもしれません。
以前に淡路島の建築を見たことがありますが、その山の法面を利用した高台に立つ建物で
見晴らしも良く、綺麗に使われているなぁっという印象でした。
屋上の展望室は入館料を払わずとも入れますが、折角なら入館して欲しい建物です。
特に地下構造は安藤建築のお得意なところなのでしょう。
円錐型の天窓から落ちた光が地上から地下まで届くようになっています。
市民ホールとしても使用されているようで、地下のアプローチはホールに続いています。
展示物は撮影不可でしたが、前回ご紹介した鈴木大拙さんとは同級生の様ですね。
この時代の偉人はご出生が経済的に裕福な方が多く、学問や美術をプロとして
続けていくためには大変な時代だったのでしょう。
現在では欲しい情報に貧富の差は生まれにくく、本やデータも欲しいだけ手に入ります。
留学するなどは現代でも環境として難しいことかもしれませんが、
身銭を切ることで身になっていく感覚は現代では全く薄れてしまいますよね。
②さか本
今回店舗を移すにあたって、あるデザイナーさんに相談に行きました。
こんなことがやりたいんです。というとこの宿を紹介されました。
以前にこんなやり取りがあったので、金沢まで行ったのであれば
是非行ってみようと思って金沢から車を走らせて2時間半ほど。
高速道路はありませんので、すべて一般道で向かいます。
窓を開けて走っていると気温が変わっていくことに気づきました。
以前に夏の秋田に行ったことがあり、この気候と非常に似ていました。
北陸とはいえ、上は新潟、秋田と続く豪雪地帯です。
やはり気候は夏でも涼しく、夜になると肌寒いほどの感覚です。
昼過ぎには珠洲市に入る予定でしたが、西田幾多郎さんのことがあり、
到着したのは夕飯の直前でした。
風が気持ち良く、館内のベンチや離れなど。
自由に過ごすことができるお宿です。
裏手にはワンちゃんが2匹と、放し飼いの鶏。手前には畑があって。
昨夜の生ゴミもそのまま肥料になっています。
何度か話していますが、私の祖父の家は瀬戸内の島にあるみかん農家でした。
どことなく田舎が好きな理由も日本の原風景に近いものを感じるからだと思います。
私は国内にいるとふと不思議に感じることがあります。
新幹線に乗っているときです。集落から集落。都市から都市。
その間に広がる農地や山間部を見ていたいのですが。
日本は人の住まう家というものが途切れることがないのです。
もはや人のいない場所を探すことの方が難しく、
それがいつしか贅沢なことだと感じる様になりました。
この仕事を始める前から縁あって日本中あちこちでお仕事をしてきたのですが
こういった半島の先にきた時に、いつも独自の文化が息づいていて
少しゆっくりすごしたいなと思うことができます。
男鹿半島、紀伊半島、そしてこの能登半島も。
今では日本全国どこにいっても同じなのでしょうが、
島と同様に人の行き来が少ない地域では、
人のごった返す観光地で商売をする様なお店はありません。
これは私の中の統計ですから気にしないで欲しいのですが、
すでに観光が主な場所では、来店に感謝する様なお店は少なく、
下手をすれば1度来店することだけをビジネスモデルとした観光ビジネスが横行します。
リピートしていただかなくとも成り立つビジネスモデルです。
人に傾倒する様な要素が少なく、どちらかというとシステマティック。
運営している会社も都会の会社だろうなと分かることもしばしば。
どちらがいいという論争をしたいのではなくて、
ローカルは逆に人に傾倒しないと難しいビジネスがあるということでしょう。
誰がやっているか、誰が運営しているかでサービスが変わっていくというスタイルです。
私はその人間らしさ、人間臭さも含み愛らしいと許容できる世界が好きです。
むしろその人間のお互いの欠点さえ、共有すれば良いと考えています。
現代人がいつからか個別主義になり、自らのアイデンティティーを自撮りという中で
エゴを表現し、評価する様になって。各々の欠点や臭さは隠すことが美徳になってきています。
それは「他者に嫌われたくない」という深層心理の中で働く自然の自己防衛機能であって
それが行き過ぎると物事の許容範囲を狭めてしまう行為なのではないかと疑問に感じる時があります。
この世の中で一番不安定なもの。私は「人の心」だと思っています。
多くの生物のように「種の保管」だけを目的にしているわけではないからです。
その中で。合う合わない。分かる分からないがあるのは当然のことと思いますが、
その全てを含んで分かり合える世の中が来れば良いと思っています。
2分化するのであれば、もっと陰影を分かりやすい形にすれば
次の世代でもっと過激に変化していく世の中になるのではと思うのです。
多くを語ってしまいましたが、ここにはそう思えるほどの「人の気配」がします。
あえて残してあるのだと思います。一つ屋根の下。木造の家の中ではお互いの気配がします。
宿を守るオーナーさんも障子一枚隔てた先で生活をしていて。
厨房の奥で楽しく談笑している声も心地良いのです。
次のお店でも不確定要素であるそのヒトという部分の置き場をロケーションから
その先の建物やサービスの中にも散りばめておきたくなりました。
さか本にはテレビも、時計も。空調も冷蔵庫も。何もありません。
WiFiもなく、携帯もつながりませんのでPCはただの荷物になります。
何もないからこそ。ヒトは追い込まれて過ごすしかない状況に置かれます。
夕食時、他の2組のご夫婦と一緒になりました。
席は1枚板の大きなテーブルを囲んで、同じ時間から食事を開始します。
その日は年に1度の灯篭祭りの日でした。狙ったわけではないのですが、
そのうちのお一組が私を誘って連れ出してくれました。
港で打ち上がる花火が終わったら。町内に大きな山車を引き廻します。
山車の引き手やお囃子は大人。山車に乗って音頭をとるのは2〜3才の子供達です。
都会では「危ない」っとコンプライアンスに引っかかる案件でしょうが、
大人たちは誰も止めませんし、思いっきり山車を引っ張ったり、無理やり停車させます。
それでも泣く子が出ないというのは、遺伝子レベルの情報伝達か、見慣れているからか。
そんな予想もできるほど、今では珍しいお祭りだなっと思っていました。
地元が好きになるかどうか。愛せるかどうかはこういった
地域の伝統が守られているかどうか、というのも大きいのではないかと思います。
祭りの意味。
鎮魂か先祖供養か。雨乞いか五穀豊穣か。
子宝か、子孫繁栄か。世界のフェスティバルにはおそらく意味があります。
近年ではうちの子供も屋台に行きたいと言って光るおもちゃを強請るのが
どこへ行ってものテンプレートになってしまいました 笑
エンターテイメントとしてのお祭りの意義も大事なのですが、
本当のお祭りの意味を大人が語り継ぐのも意味のあることかなと感じました。
欧米からのお客様もたくさんいらっしゃいました。
個人で来られている方と思いますが、既に日本人より日本に詳しい方が
ちらほら出始めていることと思います。東京・大阪・京都以外の地方観光地にも
行ってみたいと思われる方々が出始めているのでしょうね。
それほど日本という国は魅力的で、歴史と観光資源にあふれています。
しかし、当の本人たちは自らの住まう地に興味が無くなって、
地域の歴史にも目を向けることが少なくなっているのでしょう。
それほど今の日本は文化的余裕がない。
他者愛が足りない国になるのではないかと危惧しています。
経験する→知る→想像する
私は死ぬまでこのルーティーンです。
今回の能登の旅も楽しいものになりました。
最後の夜に金沢で「蟒」というバーに行きました。
直接伺いませんでしたが、店名はサン=テグジュペリの星の王子様に出てくる大蛇のことだと思います。
大勢(大蛇)に飲み込まれる象の形を大人たちは帽子というが、主人公のぼくには恐怖に見えるという
当時の対戦中のヨーロッパのことを思わせる一幕のそのことなのだと思います。
気になる方は調べてください。
オーナーさん一人がやっているバーですが、ここはとんでもないバーです 笑
行けばわかりますが、オーナーさんの気質が多分私と似ています。
金沢市内でご飯を食べてどこかで1杯だけと思った際にたどり着いた場所です。
(私はお酒を飲みませんがノンアルコールのカクテルやコーヒーを嗜みます)
オーナーさんとお話を少しだけお話をしましたが、地方にも関わらず
全国から同業者が来られるのだそうです。
やり方も考え方もその方独自のもので、商品の仕入れ方法もその国に行くとおっしゃっていました。
金沢で30年近くバーテンのお仕事をやられているのだそうです。
私は店舗を開いて4年。まだまだ先は長そうです。