2026/07/12 08:00


自身が起業して、この8月で7年目に達しようとしています。

本当は周年祭の様なものをやりたいのですが、それは店舗を戻してから

っと思っています。


またこの機に自社のHPを作成しようとしており、

まず私が行う全てのビジネスを分かり易くする必要があるなと感じていて。

なぜかというと、店舗が無くなってから手持ち無沙汰になり

会社員を兼業したり、その中でも自社の社員が増えて行ったりと。


この店舗のない3年の中でかなり環境が変わってしまったのにも関わらず

説明が面倒だったのか、私は近親にのみこの内情を説明することを行っており、

久しい方には毎回内情を聞かれる、、ということがデフォルトになりつつあります。


元々寝具店のお客様には子供服のことは話さず、会社を作ってしまったこともあり

現在のことを整理して表現しておく必要性を感じています。




ご存じの方もあるかもしれませんが、

現在私はとある大学で臨時講師として登壇しておりまして、

数ヶ月前、講義を終えた際に色んなことをぼーっと整理していました。



このブログもそうなんですが、

私の場合、他者に自身のことを話したり説明する時に

対象の人たちと共に、自身や環境のことをより深く理解することで

今後のことを決めていく癖があると思っています。


特段アウトプットすることの習熟に関しては

人前に出て話をしたり、文を書いたものを特定の誰かではないものに纏めて

パブリックな場所で「評価してもらう」ということが重要と感じています。


下記は大学さんの方に初年度の記事が残っておりました。

もしよろしければこちらからご覧ください。


私も初めて記事を見て知ったのですが、

私のことを「パラレルワーカー」と表記してくれています 笑

写真はいつも私を面白がってくれている先生が撮ってくれていますね。

もう3年前、、、早いものです。

初年度は20名程度でしたが、今では4〜50名ほどに受講者も増えています。

最近では登壇後に質問にきてくれたり、話をしたいという生徒さんが追っかけてくるまでになりました。


この講義は、周りを見ても私の会社より大きな会社さんや有名な会社の社長さんが担当されています。

私が気を付けているのは、聞いてくれる生徒さんのために

他の講師の方同じ様なことはやらない様にしようと決めています。


よくありそうな講義では私がやる意味がないかと感じていて。

具体的に言うと社会の中では、真っ当に大学卒業から就職したという訳ではない

「社会的アウトロー」として生きていますので、

来歴から話し始める際にも大学を辞めたことから話し始めています。


とにかく失敗談をたくさんしているだけの

「町のおじさん」として登壇するようにしていますが、

生徒さんと同じ年齢であった際に、

私は社会に出ることが怖く特にやりたいことも無かったので、

なんの考えもなく大学へ進みました。


彼らの中にも当時の私と同じ、不安を抱えている方がいるのでは?

という切り口から、成功談ではなく、

「何も持たざるもの」が社会の何を信頼して

何を託そうとしているのかを明確に話すことが重要と思っています。



ここで90分内容の全てを話すことは出来ませんが、

私の場合、高校からどう授業をサボろうかや、

親に見つからない様にサボる皆伝法を話したりします。


「真面目に大学に来て、今まさに講義を受けている」

目の前の生徒さんの方が、私などよりよっぽど尊いことなんだ

ということからスタートします。


ただ、座学だけでは語り尽くせない社会のジャングルに出ると。

サバイバーとしての生き残る力と、その心構えの方が重要なんだということに

当時の30代にして気付いたことを少しづつ伝えています。


そして、その活動の根源は何か。

私の場合は、自身が「楽しい」と思うことをしたい!

しかも、それを死ぬまで継続したい! というわがままを

社会の中でどう貫くかを分解してお伝えする様にしています。



今年、どうしても話したかったのは

「やりたくないことから逃げつづけろ」

ということをテーマに話しをしました。


私が成功例としてではなく、「こういう方法もあるよ」という

「選択の提示」をする様に心がけています。


今の日本の教育現場で何が行われているかは私は知りませんが、

私が中学生くらいの頃に感じたのは提示ではなく、

何者かになることを強要されたこと。それに強い違和感を覚えていました。


その時の私にはなんの職業に興味があって、何になりたいのか。

自身でははっきり分かりませんでした。

それは幼児の時に言う「将来の夢」とは別物だと思っていて。

社会と関わる上での個の責任が発生してきますから、

中学生にはとても重く感じていたのを覚えています。


そもそも大人が見ている視点で社会になんて接してませんから。

無邪気に「何になりたいの?」なんて、、、

「どうやってバイトすればいいかも分からない年代にそんなこと聞くなよ」っと常々思っています。


しかし、大人たちは見えなくても見える様にしろと言います。

私は途端に不安になり、分からないながら親と同じ教職の道を目指していました。


特に縦社会の会社を両親共に経験したことがないし、

一般的な会社員がどういうものか知らない。という環境でしたから

それも影響としてはかなり高いのかなと分析しています。

*教員の子供に教員が多いと言うのはそういったことかなと思っています


話は変わりますが、地元の中学校に通うようになり

2年生から急に保健室に入り浸っていたのですが、

保険の先生が何かの異変を感じて、腹を割って話し始めたことがありました。

もう何を聞かれたかも覚えていませんが、溜まっていたものが爆発してしまったのは

なんとなく記憶しています。



その際に自分が思ってもいなかった「いじめ」が発覚し、

その先生が校内の授業を止めて、全教員を校長室に集めて私の話を聞いてくれたことと、

自身では気付かない異変に気付かせてくれた大人がいたこと。


私も救ってくれた先生のように「誰かを守ってあげたい」

これが私の大きな目標となりました。


自身は小さな頃から病弱で、学校は常に休みがち。

中2で胃カメラを飲んだ際にも潰瘍が見つかったり、

小学生くらいから、ひどい喘息が出るたびに入退院を繰り返していました。

そのせいかスポーツもろくにできず、足もとてつもなく遅かったこともあり、

小さな頃から嫌な思いをたくさんしたことが、今思えば良かったと考えています。


聞き取り後のいじめ対策会議が終わった後に、

友人も私が嫌な思いをしていたことなど分かってなかった様で。

私への対応が全て「いじめ」と認定された時に、

彼らは私のところへ来て土下座して謝ってくれました。


私はそんなことをして欲しくて大人に話した訳でもなかったし、

元凶は自身の行動にも責任があり、

クラスの中心人物たちから嫌がらせを受けていたので、

友人たちとまた同じ様に気持ちよく学校に通えることが

とてもうれしく感じたのを今でも覚えています。

もうお名前も覚えていませんが、緑ヶ丘中の保険の先生。

今でもすごく感謝しています。


なぜかそれを機に体が強くなって、急にスポーツができるようになったり

周りの子たちの反応が変わっていったのを今でも覚えています。



ただ、その時点ではそんなことしか知らないし、

当然親も自身の経験しか教えてくれませんから。

身近にいるヒーローを見て「自分も誰かのこと助けたい」という自覚を持って

進路相談などではなんとなく、霧のかかる中の紐を辿ることにしました。


私はそのまま大学に進学し、愛知に来て教育心理学なるものを学びながら

教員の道を目指している最中に。突然キラキラしたものに出会います。

*その時は小田和正のジングルが心の中で鳴った気がしました


地方都市で育った私が都会に出てきて「ファッション」という

1つの表現方法を知ったことで、それが大きな転機になりました。

当時の雑誌にストリートスナップを載せてもらったり、道端で取材を受けたこともあり。

広島にいた時との違いなどもあったのかもしれません。


アパレルに入ってからは特に素材の事について必死に勉強しました。

素材や加工に隠された意味を理解したり、産業革命後から使われる技法など。

先人の知恵や工夫を知る度に、表現方法だけではない

ファッションの基礎や繊維関係に従事するものとして

感じておきたいことがたくさんあることに気付いたのも大学生の頃。

これは今の職業にも大きく関係しています。



服屋で働いていた頃は先輩たちについて回り、思いっきり仕事をして

彼らの人生の形成方法もインストールしながら、思いっきり遊ぶことで多く学びました。

そのお陰で私は大学を留年することになり、、笑

遂には座学に意味をなくし、自身の人生を生きることに興味が湧き出す経緯など。

主には講義でこんなことを話している訳です。


社会との関わり方と、選択を生徒さんの中でも広げておくことの方が

何かを決める時に心強さに成り変わるのではと感じていて、

私が一般的にはカテゴライズできるものではない存在としての意味。

これが依頼の内容なのではないかなと勝手に感じ始めています。


「この仕事がめちゃめちゃかっこいい!」とか、

漠然としたものに憧れていた訳ではないんですけど、

結果的に全てのキャリアが結びついて今が形成されています。


私自身も、どんな社会人でもそんなもんだろっと思いますが、

これを面白がってくれる人たちや、登壇なんていう機会をくれる

教育機関があるわけですので、やりたくないことから逃げ続けてよかった 笑

っとおじさんになった自分はそう感じています。



今年は登壇3年目でして、常にこんな話をしているのですが、

1年目の講義は時間配分ミスして、次はないだろうと思っていたら

2年目、3年目と。私の成長が見たいと担当の先生に煽てられて

遂には4年目の依頼もすでにいただくこととなりました。

*実は3年目も時間配分をミスしてしまったのですが、、

 急遽、質疑応答や生徒さんに逆に聞いてみるという行動で乗り切りました


現在の私は寝具店の売り上げよりも

子供服店の利益の方が大幅に上回っていますので

本業と言われれば子供服の販売代行事業となるのですが。


私が寝具店を続ける理由や、一時とち狂って会社員も兼業することも

学生さんには面白く映るようです。

話題を提供できる内は、私は社会の道具としての役割を果たしたいと感じていて、

今度はそれを視覚的、感覚的に共有できる場所。

もう一度「店舗を作ること」を目標に。

ここ数年を乗り越えてきました。


会社規模は初年度の10倍ほどになり

少し冒険的なビジネスを行ってもいいほどになったので、

店舗を借りるのではなく、土地を買い一から作ってみる。

という方向に切り替えて場所を探しています。


前回の店舗移転は私の中でも「ミス」という認識があって、

私の能力の限界を超えたムーブで各方面にご迷惑をお掛けすることとなってしまったので

次回はとても慎重になっています。


現在までに20〜30件の物件と土地を見ましたが

今のところ決定的な何かは掴めておらず、

今回も財務や建築、申請や不動産等の各分野のプロと協働しようと画策していますので、

彼らのアドバイスなども受けながら良いものを作り上げていきたいと思っています。


ただ、次は以前のようにゆらゆらと行えるような運営でもなくなる可能性が高いです。

7年前に建てた店舗とは異なり、建築費高騰と物価高騰という外部因子があり、

おそらく建築費は以前の2倍〜3倍になると予想しています。

気を抜けば一転赤字経営が目の前に迫ってくるからです。

そういった意味でも、長期的なビジョンも考慮しながら、

チームでベストアルバムを作成する様な作業をしようと動いています。


「楽しいことがしたい」

私の原動力はここにありますので、社会のため、地域のため。

それが回り回って自身のためになるように。

引き続き楽しいことを考えていきます。


そのためには私が理解する幅を広げ、

伝える努力をし続けるように。

そして、このビジネスをデザインする作業は

誰にも支配されず、誰にも依存せず。

誰も信仰せず、誰からも心酔されず。

小さい政府を作り、国として育てていく

この記事もこれについてのログだと思っています。


スモールビジネスとエンタープライズの醍醐味を

共に持ち合わせたベンチャーとして

今後も活動を続けていく所存でございます。


店舗が具現化した際にはそのプロセスを開示していこうと思っています。

これも社会のため、誰か知らない方の選択の一つになれるように。


こんな私でも必要としてくれる方がいると信じて。

全てを継続していくことかなと感じています。



筆末ではあるものの、

さらにこんな私に新しい仕事が舞い込みました。

ある食肉加工のメーカーさんのWEB事業と店頭販売について

コンサルティングの様なものをやって欲しいと友人から依頼があったのです。

初めは迷いましたが、やって欲しいと言われれば道具として動くまで。

これはこれで、また動きがありましたらどこかでご報告いたします。


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